替わりのいいものを見つけた。

コロナ禍の時間つぶしと、健康のために昨年のGWからはじめたウォーキング。


その年の12月頃に終わった。


住んでいる地域の特徴で、冬になると雪と雨が多く、足が外に向かなくなってしまった。


気持ちさえあれば続けられたと思うが、体重も5キロ減って、健康診断の結果も問題なし。これがやめた本当の原因かもしれない。


でも、何かやらないと現状の維持がままならない。天気の心配をせずに、毎日の生活の中でルーティン的にできるものはないか。

 

と、探していたところ、ついに見つかった。
仕事のオフィスに行く途中に上がる階段である。


雪や雨でも問題ないし、毎日通過しなければならない場所。続けられるはず。


オフィスは3階なので、そこまでだと効果はないと自らを奮い立たせ、最上階の8階まで休日の土日を除く週5回、上がることにした。


最初のほうは1段ずつゆっくりと。3階くらいまでは好調だが、6階くらいからは太ももが張ってきて、息も上がってくる。やっと8階に着いたときには、全身の隅々にまで血液がドックンドックン巡っている感じがわかる。降りる時の虚脱感は何とも言えない。


最初のころはどうなるかと思ったが、今では1段飛ばしで8階まで上がっている。


脚や心肺には適当な負荷がかかっているようで、上がった後は少し気持ちが良いくらい。
仕事にもスムーズに入れている。


階段上りを始めて約半年になるが、体重は維持、筋力はアップ(特に下半身)、今年の健康診断はさらに良い結果に。長時間立って動いていても疲れ知らず。


次は、8階を2往復する日を入れてみようかと思っている。

 

いいかも、ウォーキング。

ゴールデンウィークはコロナの制限が緩和されたが、これまでの習慣が抜けきらず、どこに行くこともなかった。

 

そこで、だいぶ前から気になっていた年1回の会社の健康診断に向けて、ウォーキングをやってみた。年々悪化している数値を何とかしなければいけない。

 

ウォーキングはジョギングに比べ、終わったあとの爽快感が物足りない感じがして、今までほとんどやったことがなかった。最近は運動を全くやっていないので、いきなりジョギングはつらいと思い、ウォーキングから始めることに。

 

まずは家の周りを約20分間くらい歩いた。思っていたとおり、爽快感はなかった。翌日は少し歩く時間を伸ばしてみたが、気分はあまり変わらず。歩いている途中で少し走ってみたが、まだまだ走れる感じがしない。

 

だが、何日続けて歩いているうちに、体が少し軽くなったような感じがしてきた。(体重が減ったのではなく、体の中が変わってきた感覚)

 

ゴールデンウィークの後半には、少し長めの距離に挑戦。往復で約1時間。歩いたあとは意外と気持ち良かった。膝と足首が少し痛くなったが、走っている最中の心肺のつらさに比べたら、気になるレベルではない。

 

ゴールデンウィークが終わる頃、何気に体重計にのってみた。マイナス2キロ。ウォーキング効果なのかわからないが、良いほうに解釈することに。成果が見えるととことんやってみたくなるのが私の性分。連休が終わった後も、ウォーキングを続けた。

体重が少しずつ減っていき、寝起きも良くなり体も軽い(体の中に加え頭の中も)。気分の良さはジョギングと同じくらい、いやそれ以上かも。

 

何事も一度はやってみないとわからないものだ。自身の悪い思考の癖を、少しずつ改善できればと思う。

このまま続けて、健康診断の数値を待つことに。

 

シャインマスカットは誰と食べるんだろう。

夕方のスーパーの出来事。

家族で、今日の夕ご飯と来週1週間分の食材、日用品の買い物に。よく行く近くのスーパー。

必要なものをかごに入れてレジへ。

並ぶと前の人の買い物の様子が、気になってしまった。

30代の女性で仕事帰りの感じ。

買った物は、シャインマスカットのパック一つ。

その一つだけの買い物が気になったのではなく、買ったシャインマスカットを、じっと見つめ、両手でそっと大事に扱っている。

レジが終わり、持っているエコバッグに入れる際も慎重にゆっくりと。

ちゃんと収まったのを確認したら、うれしそなう顔で足早に出口の方向へ。

このあと、どういうふうに食べるのだろうか。

シャインマスカットが大好きで、一人で味わって食べるのだろうか。

いや、家族皆んなで夕食後のデザートなのか。または、日曜日の仕事で一日中留守番で待ってる子どもと、帰ったら一緒に食べるのだろうか。

気になって仕方なかった。

気がつくと、自分も我が家が買ったものを、慎重に、大事に、ゆっくりエコバッグに詰めているではないか。

すかさず、詰めるのをママに取って代わられたのは言うまでもない。娘のチャックも呆れ顔。

食べものを大事に、そしてみんなで楽しく食べられることに感謝、感謝。

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一緒に歳をとりました。

我が家の愛犬トイプー。

すっかりおばあちゃんになってしまった。

散歩のスピードもゆっくり。

毎日2回の食事も、食べたり食べなかったり。

オシッコはシートを外す回数が増えてきた。

一番の変化は、白内障であまり見えていないこと。

散歩中に道路の溝に落ちたり、家の中ではテーブルや椅子の脚、時には壁にぶつかっている。いつもヒヤヒヤで、時々フラついて倒れそうになる。

また、耳もあまり聞こえてないのかもしれない。家族の声や周りの音への反応が弱い。

以前は声をかけると、真っ黒いビー玉のようなくりっくりな目で、首を右に少しかしげて返してくれた。

見えない、聞こえないことで少し敏感になっているのか、警戒心も強くなり、一緒に遊ぶことも寝ることもほとんどなくなり、周りのことにあまり興味を示さないように。

トイプーが少しずつ離れていくようで、寂しさが増すばかり。

もしかして、トイプーの行動にあわせて、飼い主が勝手に離れていっていることにしている?いやそんなことはないはず。不安がつきまとう。

しかし、寂しさと不安が一気になくなる時がある。それは家に帰って来たとき、ターっと走ってきて、声を出して脚に抱きついてくる。

そのトイプーを思いっきり抱っこしたとき、まだ大丈夫、大丈夫、と安心する。

家族もトイプーも未来はどうなるかわからない。ただ、悔いのないように今を生きていきたい。

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身体の若さと〇〇を取り戻した。

身体を動かさなくなって20数年。 大学まではバリバリの体育会系で、体力には自信があったが、徐々に筋肉の量も弾力性も明らかになくなった。ちょっとした不用意な動きでギックリ腰、走れば脚の肉離れ。身体も疲れやすくなり、集中力も長く続かない。 俺は歳をとってもアスリートなんだ、という思いだけできたが、もう言ってられない状態まできた。 マシンを使った筋力トレーニングやジョギングからでも始めるかと思うが、時間がつくれない。 そこで基本に立ち返り、まずはストレッチからをすることに。マラソン選手も、怪我をした後はウォーキングから始めると聞いたことがある。わざわざジムに行くこともないし、天気を気にすることもない。 ただ、ストレッチくらいでいいのか、やっぱりある程度負荷がかからないと効果がないのでは、という気持ちも。疲れた感がないと達成感がない。昔からの習慣が邪魔をする。 ストレッチをやり始めた当初、自分の体の劣化に愕然とした。全く柔軟性がなくなっていて、脚、股関節、腰、背中がまったく伸びない。まさしく錆びた状態で、現役時代のイメージが微塵も感じられない。 毎日続けると決め、2週間が経ってもあまり変化がない。1ヶ月くらいから、最初は痛いしか感じなかったのが、痛い気持ちいい感じに。同時に柔軟性も出てきて、現役時代くらいまで回復した。 さらに数ヶ月続けて、今では開脚した状態で胸が床に着くくらいに。足首、太ももの前と後ろの筋肉、肩甲骨、股関節の柔軟性がかなり増した。可動域が大きくなった。 すると身体の調子にも変化が。朝はベッドからひょいと起き上がれる。脚の動きもスムーズになり階段も楽に登れ、とっさの踏ん張りも利くようになった。そしてなによりも、お腹が少しへこんだような気がする。 最初、ストレッチにはあまり期待してなかったが、予想以上の効果が得られた。この歳だからこそかもしれない。 いよいよ次は何か運動を、と思うところだが、しばらくはさらなる身体の変化を見てみたい。 凝り固まった頭もストレッチできて、一石二鳥といったところだ。

こころの新しい生活様式は?

新規感染者が少なくなったとは言うものの、まだまだ収束しない新型コロナウィルス。

コロナ禍の生活も、もう1年半。会社の仕事がだいぶ変わった。

会議や業者との打ち合わせはzoomかメール。東京などへの出張はなくなった。

変わってきたことで心配なことも。メンタル面での病欠や退職が増えてきている。今までになかったことだ。

話を聞くと、仕事への不安があり自信が持てないとのこと。今までもこのような社員はいたはず。

ただ、今までと違うのは、対面による話し合いや部署間のコミュニケーションが、断然少なくなっている。社内、そして同じフロアでもメールでのやりとりが基本になって、必要最小限のことしか書かないし、伝わってない。不満や愚痴も封印してしまっているのかもしれない。

直接話をしてもマスクをしているので、顔の表情から相手の反応を察することも難しい。

いろいろなところが、抜け落ちてしまっている。

そして、病気ではなく寿退職する社員に対しても。いつもだったら送別会をしたり、みんなで集まって記念品などの準備やらで、寂しいけど楽しいものがあった。

でも今は、それすらなくなってしまい、気にかける者も少なく、淡々と時が過ぎていく。

自分を含め、何も感じなくなってしまっていることが怖い。

何か良い解決策はないかと思うが、周りの状況の変化の速さに、追い付いていけてないのが虚しい。

コロナ禍での新しい生活様式もいいが、このような人の感情や心の持ち方への新しい様式はあるのだろうか。

きっとある。と信じたいが…。

 

小学生のICT教育は本物?

小学校高学年になった娘のチャック。


自宅でパソコンを使ってる姿をよく見るようになった。
国の「GIGAスクール構想」の政策で、1人1台のパソコンが貸与され、教育におけるICTの活用が必須となった。
また、これからは従来の一斉教育だけではなく、多様な子ども達に対応する個別最適化された学びを実現するのだそうだ。


本当に、小学生にパソコンの活用が浸透するのだろうか。
自分が初めてパソコンに触れたのは、たしか大学に入ってから。
あの学生時代に苦労したことを、小学生ができるのだろうか。

 

チャックの様子を見ると、学校からの連絡をパソコン上で確認しながら宿題や課題に取り組んでいる。復習したいときは、いつでも資料が取り出せるようになっている。
最近は、パワーポイントのようなソフトを使って意見発表のための資料づくりや、プログラミングの課題に取り組んでいる。
プログラミングの内容を見てみると、なんとエクセルのIF関数のような条件を設定して答えを導いてる。


一番驚くのは、もう両手を使ってタイピングしていること。
それも早い。たぶん、仕事で毎日パソコンを使用している自分より早いかも。
パソコンやソフトの操作も、スマホのように手慣れたものだ。
もう、自分の大学生時代よりスキルは上である。(残念だが負けを認めざるを得ない)

 

ただ、パワーポイントのようなフレームづくりはできるが、その中に入れる文章や表現が追い付いていないような気がする。
伝えたいことは分かるんだけど、それが文章、語句となって表れない。
それは学年が上がれば、中学になれば、ということかもしれないが、少し違和感を...。

これも英語の早期教育でよく言われる、国語力、コミュニケーション力が先なのかもしれない。

 

何はともあれ、こどもの吸収力はすごい。
だからと言って、デジタルのように何から何でも詰め込めるものではないことは確か。
チャックには、子どもっぽいアナログ的思考もずっと持っていてほしい。